【128】 憲法改正への「国民投票法」、国会で成立          2007.05.14
     − 憲法を改正することは、必要なのか −


 憲法改正の手続きを定める「国民投票法」が14日昼の参院本会議で、自民、公明両党などの賛成で可決、成立した。1947年の憲法施行から60年を経て、改憲に必要な法的環境が整ったことになる。
 成立した国民投票法は与党が提出した案で、国民投票の対象を憲法改正に限定し、賛成票が有効投票総数の過半数を占めた場合に改憲案を承認するとし、公布から3年後に施行されるが、施行まで(2010年まで)は憲法改正原案を提出したり、審査したりできないと定めている。
 投票権年齢は原則18歳以上だが、公職選挙法などの関連法が改正されるまでは20歳以上と定め、また、公務員や教育者が地位を不当に利用して投票運動をすることを禁じているが、罰則は設けていない。さらに、参院憲法調査特別委員会では法案可決に際し、施行までに最低投票率の是非・公務員や教員の地位利用禁止の範囲・公職選挙法や民法との整合性を検討することなど、18項目の付帯決議を採択している。
 憲法は96条に改正条項を設け、国会の憲法改正発議には衆参両院でそれぞれ総議員の3分の2以上の賛成が必要であることと規定しているが、与党は現在、衆院では3分の2以上の議席を確保しているけれど、参院では半数をわずかに上回る議席数だから、実際問題として改正には民主党の協力を得ることが不可欠になる。
 この法案が成立したことの意味は、憲法改正への機運と議論が具体的な段階に入ったということであろう。


 それでは、憲法を改正することは、必要なのだろうか。


 まず、現行憲法の制定過程を振り返ってみると、昭和21年、GHQの意向を受けて松本烝治国務相(当時)を座長として「松本委員会憲法改正案」が2月にまとめられたが、GHQはそれを「極めて保守的」とした。そこでGHQ民政局が7日間で書き上げたのが「マッカーサー草案(全92条)」であり、象徴天皇制、戦争放棄などを規定していて、前文も含めこの案を基に現行憲法が起草されたのである。
 押し付けられたものだからとか、7日間という短期間で作られたものだからという理由で改正を論じる必要はない。現行憲法が謳う理念と内容が、日本の現状に鑑みてどうであるかが、判断の基準となるべきであろう。
 その点で、前文の『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』という部分は、国際社会での現実味に欠け、責任感のない自分勝手なお人好しに過ぎると言わねばならない。
 同様に、第9条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】1項『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』という文言は、湾岸戦争・アフガニスタン・イラクと派兵要請を受け、近隣に北朝鮮や中国という軍備拡張国家が存在する現実に対しては、あまりに空疎である。
 第2項『前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。』にいたっては、わが国に自衛隊が存在することは内外が等しく認めるところであり、著しく整合性に欠けていて、もはや形骸化しているといわねばならない。いや、後述するように、日本の国防に大きな障壁となっているというのが現実である。


 世界の現状をざっと見渡してみても、戦闘の続くイラク、アフガンをはじめ、イスラエル・パレスチナ、チェチェン、コソボ、エチオピア・エリトリア紛争、ソマリア内戦など、今も世界から争いは尽きない。イラン、北朝鮮などの核開発はますます進み、ニカラグアなど南米に誕生している反米国家の成立は新たな紛争の火種を予感させるし、フランスのサルコジ大統領の選出はヨーロッパ先進国にもナショナリズムが高揚していることを意味している。
 日本を取り巻く東アジアの状況を見ると、まず北朝鮮には200基以上のミサイルが東を向いて据えられ、早晩、核弾頭が搭載される可能性も大きい。切り札となった核開発カードを、金正日政権が手放すわけがない。政権のほころびに伴う暴発などが起これば、日本はかなりの被害を覚悟しなければならないだろう。
 韓国は近々イージス艦を配備する予定であり、日本を標的とした対地巡航ミサイルを登載するという。この韓国の措置はまことに理解に苦しむが、防衛上日本も直ちに9条を改正してトマホークを搭載しなければならない。対日戦を想定しているという韓国軍の近代化は侮れない。配備予定のF15Kは、日本のそれを凌駕する高性能機である。
 中国は8割以上を占める貧困層の救済のためにも経済を向上させねばならず、そのために日本の技術と経済援助は不可欠である。現在、温家宝首相の日本訪問に象徴されるように、小泉政権下のギグシャクした関係を修復することに細心の注意を払っているが、日本に事前通告なく東シナ海油田の掘削を開始しているし、すでに3兆円に登る日本からの円借款を受けながらアジア・アフリカ諸国に資金供与を行い、日本の国連常任理事国入り反対を画策している。
 その中国の軍事費はここ10年以上10%以上の前年度比伸び率を示していることはよく知られている通りだが、総兵力231万人(日本自衛隊23万人)という世界最多の兵員数を擁する人民解放軍は、日本をはじめとする周辺国にとっての脅威である。
 そして、2008年の北京オリンピック、2010年の上海万博を終えたのち、国内に多くの矛盾や社会不安を抱えた中国は、経済バブルがはじけ、国民の不満が暴発するのではないかと懸念されている。大規模な暴動といった形になるかどうかは別として、人々の鬱積した不満は社会のいたるところで顕在化することだろう。
 そのとき、中国はどこへ行くのか…。国内の不満を外へ向けるために、一例として台湾併合への動きを示すのではないか。台湾保護を宣言しているアメリカはこれを阻止しようとすることだろうし、日本が座して眺めていることは許されない。
 台湾でなく、尖閣列島の占領に出てきたらどうするのか。「どうぞ」と無抵抗で差し出すのか。主権国家のあるべき姿ではあるまい。


 自衛隊は、アメリカを除けば世界のトップクラスの戦闘力を持つといわれている。憲法の縛りによって丸腰でイラクに出されたりしているが、F15を203機も持っていて、中国軍に本土を踏ませることはないという。この自衛隊を軍隊と呼ばず、その力を戦力と呼ばないのは、言葉の遊び以外の何者でもない。解釈ばかりに委ねてきた、まやかしの対応から脱却するべきであろう。
 持っているのに持っていないと言い続けてきた日本は、憲法を改定して、持っているけれどむやみに使わないと言うべきではないか。「日本は先に撃つことはない。しかし、日本に向けて撃ったら、必ず手痛いしっぺ返しを受ける」というのが、防衛力というものだろう。戦うことのできる力を持ち、なお、その力をコントロールして抑止力とすることである。それでこそ世界の一員としての存在を認められ、責任を果たす資格を持つことになる。
 アメリカ、ヨーロッパに対する第3の極として、アジア諸国と政治的経済的な連携を目指す「大アジア連合」構想を推進していくことは、列強に蹂躙された帝国主義の時代にまでさかのぼらなくても、ヘッジファンドに翻弄されたアジア諸国の通貨危機を見れば、これからのアジアにとって不可欠な体制である。日本がこの構想を提唱し、中心的な役割を果たそうとするとき、自国はもちろん、アジア連合の諸国と手を携えて共同防衛をなすことが出来る体制を整えずして、信頼を得ることはできない。連合体への脅威に対して、『平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、日本は戦力を持たず、交戦権を放棄する』と言っていては、「日本は本気か?」と相手にされまい。


 現行の日本国憲法は、日本にアメリカの傘のもとでの平和をもたらし、経済的繁栄を実現してきた反面、国際社会の現実から目を背けさせ、国家や国民としての責務をないがしろにする国民をつくってきた。功罪のいずれに軍配を上げるかはさまざまな議論があるが、制定後60年を経て、その役割を果たし終えようとしている。
 9条に象徴される戦力と交戦権の放棄の見直しについては、上に述べてきた通りであるが、改定の留意点として、現憲法に保障されている「国民の基本的人権」と、「公務員(政治家を含む)を訴追し罷免する権利」の保持を変更しないように見守らなくてはならない。当然、昭和21年当時の政治状況を補うために定めた補則の多くは削除する必要がある。
 国民投票法の3年後の施行までは、憲法改正の草案の提出などは出来ないことになっているから、改定の草案が提出されて、国民投票で審査するのは4〜5年後のことである。この間、憲法改定に向かって、さまざまな草案が作成され、それにかかわる具体的な作業が繰り返されていくことだろう。作成される条項の一つ一つと作成過程を見つめて、新しい日本にふさわしく、さらにその未来を拓く「新日本国憲法」を制定しなければならない。


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